■■■リレーエッセイD「私の外国人問題」■■■
1、私の外国人問題は、外国人の権利がその 国の人とでどこまで区別でき、どこまで差別されないかを自分の一生の課題としてい ること。
2、この課題を課した経緯
私は1946年に台湾で生まれ、7歳ま で台湾で暮らしていました。台湾は戦前は日本の植民地であったことから、母親は高
等女学校時代にたくさんの日本人の友達がいたことから、私を日本で教育を受けさせ
たいということで、8歳の時に母親に連れられて東京に来ました。2年間中華同文学
校に通った後、日本の小学校に転校し、以後中学、高校、大学と日本の学校に通いまし
た。大学に入り弁護士を志し、司法試験に1971年10月に合格し、72年4月から
司法修習生に採用して貰おうと採用申込書を最高裁判所に提出しました。ところが、最
高裁判所の規則で日本国籍を有しない者は司法修習生になれないと定められており、
私は台湾国籍でしたので、このままでは採用されません。この国籍条項があったのは
知っていたのですが、司法試験に受かったら簡単に帰化できるよと先輩に言われ、実際に韓国籍の先輩が帰化したことを聞かさ
れていたので、私も簡単に帰化ができるものと考えていました。ところが、台湾の国籍法では男子は45歳まで兵役の義務があり、国籍の離脱が禁じられていたので、国籍の離脱ができない以上帰化の申請ができないということが分かりました。韓国の国籍法ではこのような国籍の離脱禁止規定がないので、韓国籍の人は簡単に帰化できた
のですが、台湾の男子は45歳までは帰化できないということが分かったのでした。
そのため、私は外国籍のままで司法修習生に採用されないと弁護士になる道は開かれ
ないことになり、その時に初めて何故外国人は司法修習生になれないのかの疑問に行
き当たりました。
調べた結果、内閣法制局の見解で公権力の行使を担当する公務員は
当然に日本国籍が必要であり、公権力を担当しない公務員は日本国籍をもっていなくても採用してかまわないとの運用により、国籍条項ができたということを知りました。
それにしても、司法修習生は法律実務を勉強するだけで、いわば大学院生みたいなも
ので、公権力を行使する権限などないことは明らかで、上記見解からしても、司法修習生になるのには国籍は要求されないはず
なのに、何故最高裁はこのような規定をおいたのか納得できませんでした。私は最高裁に台湾国籍のままで採用して欲しいと要望書を出したのですが、1972年3月に
最高裁により採用を拒否されました。私は納得できず、東京弁護士会に人権救済を申立をしました。その年の秋に日中国交回復があり、台湾政府が日本にいる台湾人の国籍離脱を認めたので、私は帰化できることになり、帰化しました。その結果73年4
月に司法修習生になれましたが、規則は改正されないままでした。5年後に亡金敬得
弁護士が外国籍のままで採用しろと要求して、やっと規則が変わり、外国籍の修習生
が誕生し、以後100名を超える外国籍の人が司法修習生になっていきました。
3、弁護士になってからの活動
この経験から、私は外国人がその国でど こまで区別でき、差別されないかを自分の弁護士活動の課題として一生取り組んでい
こうと決心し、今の事務所に就職し、弁護士会の人権委員会に所属し、外国人の人権
問題に取り組んできました。事件でも外国人の相談を中心に強制送還を阻止し、日本で定住を確保する活動などをしてきました。今は弁護士会が外国籍の弁護士を調停員や
司法委員に推薦したのに、最高裁が採用を拒否するという事件が兵庫県、仙台、東京
で発生し、これの採用を求める活動を近畿弁護士会連合会で取り組むことになり、そのプロジェクトチームの座長として頑張っているところです。
吉井正明(KFC理事)
■■■学習者とテニスを楽しんでいます。 ■■■
9月の初め頃 KFCから学習者の中でテニスサークルを探している人がいるので、何処か紹介してくれませんかとメールが入りました。
私は「神戸YMCAテニスクラブ」に所属し ています。早速お会いしてクラブの紹介をさせて頂きましたが、いきなりクラブへお
連れするより「一度テニスをしましょう」と言うことになり会下山にあるテニスコート
へ御案内しました。
それは「チャールス」さんです。
テニスコートは会下山公園内にあり、誰 が使用しても良く、且つ使用料は無料です。 3週ほど続けて土曜日に彼とテニスをし
ましたが、彼は中々礼儀正しく他のメンバーともすぐうち解けて話をしたりしてい
ました。
彼はオーストラリアでテニスコーチに付 いていたらしく、なかなか鋭いボールを打ってきます。他に何人か集まれば無料で
使用できるコートも有りますので、もしご希望の方がありましたら
KFC事務局か私へご連絡下さい。(大道良輝)
■■■日本語プロジェクト■■■
◆支援者紹介
30年前、主人の海外赴任に同行しニュージーランドで生活したのが、外国人
とお付き合いをした最初でした。慣れない異国で現地の人に助けられ、お友達も出来、
楽しい思い出一杯で帰国しました。だから私も何か人のお役に立ちたい、外国人の日本での生活をお手伝いできたらと考えるようになりました。
それから20年あまり、子育て、主人の 看病と慌しい日を過ごしました。主人が亡くなり心にぽっかりと穴があき、何か目標
を見つけなければとの思いから、日本語教授法の講習を受けることにしました。日本人だから日本語は教えられるだろうと考えていたのですが、かえって日本語の難しさ
を知り、講習は受けたものの「人に教えるなんてとても」と躊躇してしまいました。
ちょうどその頃でした、難民事業本部教護センターで仕事をしていた友人に逢い相談
した所、背中を押されるような形でKFCを紹介されました。そして、始まったばかりのクラスレッスンのアシスタントとしてスタートしました。
学習者それぞれに事情があり、学習が長続きしなくて残念な時もありましたが、各国の文化や生活にも触れ、日本人の日常生活、習慣なども話題とし、楽しく仲間として、時には母親代わりのようにお付き合いできた事はうれしい事でした。
人生何が起こるかわかりません。昨年末、
急に手術の必要な病に罹り、中断を余儀なくされました。健康だけが取り得のようだった私にとってショッキングな出来事でした。お陰様で無事生還し、順調に回復しましたので再び子ども同伴のお母さんクラスのアシスタントとして、復帰させて頂いています。
残された人生、何事にもこだわり過ぎず 自然体で前向きに、社会と関わりながら一日一日を大切に生きていきたいと思ってい
ます。
人間同士、お互い理解しあい認め合って 争いのない世の中になることを願っています。 (谷先晴代)
◆秋祭り開催
今年の秋祭りは10月29日(日)に行われ ました。場所は昨年と同じデイサービスセンターハナの会でした。「作って、食べて、遊 んで」というのが恒例の秋祭りの歌い文句です。
支援者と学習者が一堂に会して、それぞ れのお国料理を作ります。今日は学習者が先生です。「先生、これどうするのですか」 等、声をかけられて笑いも。支援者が下ごしらえを手伝い、手を動かしながら、支援の苦労、経験などを話し合う場面も見られました。
作られた料理はベトナム人による生春巻 き-市販の春巻きの皮で海老、きゅうり、レタス、ビーフン、豚肉、人参、もやしなど彩 りよく包み、落花生と味噌だれをつけて食べるのでした。次は中国人による野菜炒め でこれは筍、人参、かしわ、ピーマンを炒めるのでした。簡単なようでも絶妙な味で、あ ともう一品はハム、きゅうり、春雨のサラダでわさびの味つけがかわっていました。ま たドイツ料理は一見、簡単なマッシュドポテトとウインナーソーセージの炒めたもの でしたが、黒胡椒などの香辛料のせいか異
国の味がしました。そして日本はAグルー プの先生と学習者が好奇心から海苔巻きに挑戦。日本人顔負けのお手並みも見られま した。その他、たこ焼きもあり、たこの他にチーズ、ミンチも入ったのも作ってみまし た。前日スタッフが作られた粕汁、支援者が家で作ってこられたマンゴー、抹茶プリン、 杏仁豆腐のデザートも加わりました。
人数が多くなるのではとの予想で大量に 用意したため、時間内には仕上がらず、12時半開場となりました。料理は3つのテーブ ルに並べられ、各自、紙皿を手に、取っていくバイキング形式で、肩がふれあう有様。会場が狭く感じるほどでしたが、料理は瞬く間に減っていきました。
食事が一段落した頃、外の廊下では不要品のバザーが。今年は出品者が10円から300円まで小刻みに値段をつけ、並べました。す ぐに売れたものもあり、見向きもされないもの様々でした。
そのあとはゲームタイムでちょうど、ハ ローウィーンの時期ということで、小学生は黒いゴミ袋に色紙を貼り、模様にした手 作りのマントとして被りました。他に金宣吉理事長には女物の絣の羽織を着ていただ き、行事係がインドのドレスや「かっぽれ」着物の仮装で会を盛り立てました。いつも やっている伝言ゲームで大人も子どもも興奮し、3時に会は終わりになりました。
よい天気に恵まれ、スタッフ、支援者、学習者の意気込みが会を成功させてものです。皆様それぞれの立場でのご協力を心から感
謝いたします。ありがとうございました。(気賀倭文子)
◆研修会
日本語プロジェクト9月の研修会は、金宣 吉理事長(講師)によりハナの会で出席者10名を集めての講座であった。講座は在日外
国人の登録数の確認から始まり、そして明治維新からの変遷が紹介されていった。
1868年明治維新により「日本国民」の概念 ができ、定住外国人に対しては居留地政策が敷かれた。内務省が絶大な権力を持ち、警
察がそれを行使した。
1895年に台湾が、ついで1910年に朝鮮が 植民地化され、その地域の人々は「外地戸籍」として管理されるようになった。外地戸
籍者には日本本土への渡航が規制された。兵役制度面を見ると、1938年までは兵役義
務から除外、1939年志願制、1944年徴兵制と変わってきた。
戦後2年間の法的空白期間のあと、GHQ統 治期の1947年、外国人登録令が成立。これにより日本定住者を含め外地戸籍者は外国
人とみなされることとなった。1955年指紋押捺制度導入。
1965年日韓条約法的地位協定締結により、
在日韓国人の協定永住資格が成立。
1975年ベトナム戦争終結で難民大量発生。
1981年難民条約批准により一般永住資格 が成立。
1990年入国管理法改定により、日系人受 け入れや研修制度拡大など外国人単純労働者が実質的に受け入れられ始めた。
2006年現在、出入国管理法により外国人の在留資格は27種類が規定されている一方、定住外国人の人権を保護する日本国内
法は存在しない。 (操田誠)
◆研修会2
10月14日の研修会のテーマは「補助教材」
でした。5月に神戸中国帰国者日本語教育NPOの会員が独自の補助教材を作っていると
の話を伺ったのがきっかけとなりました。
まず、宇野さんが補助教材とはどういう ものか?と問題提起され、各自が市販の問題集、カードの他に、名詞を教えるのに実物
を使ったり、CD、自分で描いた絵、スーパーのチラシ等を使っていることを披露しまし
た。
その次にKFCグループレッスン講師の 渡辺智子さんが、ラミネート加工された自作のカードをたくさん見せて下さいました。
形容詞、動詞の意味を絵で示したもの、近くの駅名を書いたものがユニークで目を引き
ました。皆、感服。
最後に既にKFCにあるカード、箱一杯 の小道具を確認し、次の研修会ではこれらに追加する副教材を作ることに決めました。
(気賀倭文子)
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外国人の子ども学習支援■■■
◆「学習支援」活動の中で思ったこと
私は昨年(2005年)8月から、中国から来 た中学生の日本語学習のサポートをしています。
私は2000年にそれまで住んでいた台湾から日本に戻ってきたのですが、当初、自分の台湾人の家族が住むことになる社会
(神戸−阪神間)が、果たして外国人にとって暮らしやすい社会かどうか、少なからず
不安でした。周囲の日本人と話して「神戸は国際的な街だから」「余り心配しすぎるのは
却って良くないよ」という返事が返ってくる毎に、「国際的」という言葉が余りに気軽
に使われることに不信感を覚えたものです。外国人の子どもに対する「日本語学習支援」
に関わろうと思ったのは、このときの不信と緊張の経験と関係があるかもしれません。
私が教えている中学生はとても向学心のある子ですが、彼の立場からすると、中学生の段階で新しい言語文化を学ぶこと(特に複雑な文章を読めるようになること)はやはり相当大変なことです。中国語の対訳つ きの教材が開発されれば随分違うと思いますが、日本の教育制度は理科でも社会でも 全て標準日本語で記述されますから、標準日本語のリテラシー能力がないと他の能力 も充分発揮できません。これは当事者にとっては大変不条理な事態です。現行の国 語教育システムは、国民国家という権力形態の成立後、世界的にもせいぜいこの百数 十年間のものに過ぎません。とはいえ、それをより多元的な言語教育システムに組み 替えていくためには、まだまだ多くの時間がかかることでしょう。それまではKFCの ようなNPOとそのネットワークが、学校教育が担えない、真の公共性を担い続けるこ とになるのだろうと思います。
ベトナム・フィリピン・中国その他、多国籍の子どもが様々な言葉をしゃべりながら同じ「場」を共有しているKFCは、素晴 らしいポリフォニー(多声)空間だと思います。日本語学習自体の重要性に加えて、 このような空間を知っていることも、子どもたちにとっては大切なことなのではない かという気がします。自分が来年引越しする宝塚市にも、多くのニューカマーの家族 が住んでいますが、KFCのような存在はまだないようです。宝塚にもこのようなポリフォニー空間をつくるにはどうすればよいか、少しずつ考えていきたいと思っていま す。 (樋口大祐)
■■■ハナの会■■■
◆北と南
朝鮮半島には今も北と南に分かれている のは、今となっては「当然」のことになってしまった。私が生まれたときにはもうそう なっていたのだから、変わらず「そういうもの」なのかもしれない。朝鮮半島にルーツを 持つ者とその子孫のこと、私みたいな人のことを「在日コリアン」とか「在日朝鮮人」 とか「在日韓国朝鮮人」「在日韓国人」などという。十数年前は「在日」だけで良かった ような気もするが、時が経てば「在日外国人」は多くなり、「在日」だけでは朝鮮半島 にルーツを持つ者とその子孫を表す言葉としては、説明不足なのだ。最近は、「在日コ リアン」という言い方を使うことにしているが、この言葉もなんと言うか、都合のいい 言葉だ。コリアンといえばカッコいい気もするし、オブラートに包んだ感じになるか らだ。2.3年前からの韓流ブームで韓国に対する好印象は、コリアンである私が実感す るまでそう時間はかからなかった。すごい勢いで「韓国」が日本社会に取り込まれてい く状況、マイナーだった「韓国語」を学習する手段や語学学校もびっくりするほど増え た。私が名乗ると「え?韓国人?いいな〜」とかも言われたりすることも増えた。それと同じ時期の北朝鮮に対する度が過ぎた日本の報道。拉致問題、核実験など、このようなことに対しては、いろんな誤解を生むかもしれないと軽く言及できなくなってしまった。
ハナの会のハルモニ(おばあさん)同士 の会話の中にはいろんな言葉がある。まだ朝鮮が一つだったころに日本に渡ってきた ハルモニたちはよく「ウリサラン」(私達の国の人)という言葉を良く使う。この言葉 はここに来るまで聞いたことが無かったけど、すごくいい言葉だと思う。同胞同士で 使う言葉としては北も南も何の隔たりもないからである。(しかし、この言葉、「日本人と区別する」という意味合いで使われることもある)
朝鮮半島が北と南に分かれて、日本に住む同胞も引き裂かれてしまった歴史がある。しかし、実際には近所に住む人々でも 所属団体が北と南(総連と民団)、家族の中でも北と南というのがある。いがみ合った 時期があったかも知れないが、実際の生活では北や南などいっている状況ばかりでなかったに違いない。この状況は、朝鮮半島の二つの国と全く違うだろう。ハルモニの 中には、「北、南と分けてなんの意味がある!」と言う方もいる。そう思うとデイ サービスで過ごすハルモニには、いろんな意味で「くに」を持たないんだな、と思う。 そんなハルモニたちが、好きなことを言って好きなことを楽しく過ごせる場所、それぞれの個性が光る場所になればいいと思う。(鄭秀珠)
■■■ 今後の予定■■■
■日本語研修会・連絡会
12月9日(土)13:30〜16:00
「日本語の助詞について」
高橋笙子(NPO法人実用日本語教育推進協会理事長)
於 デイサービスセンターハナの会
1月13日(土)13:30〜16:00
「在日ブラジル人事情」
松原マリナ(関西ブラジル人コミュニティ代表)
於 デイサービスセンターハナの会
■クリスマス会
12月15日(金)18:30〜20:30
於 デイサービスセンターハナの会
■日本語ボランティア養成講座(初級コース)<全10回>
2007年1月12日(金)18:30〜20:30
「開講式、オリエンテーション」
KFC日本語プロジェクト
「多文化社会とボランティアとNPO-震災後の神戸の経験から-」
日比野純一(NPO法人たかとりコミュニティセンター専務理事)
■子どもたちと秋の遠足
11月26日(日)10:30〜14:30