■■■中国残留孤児の救済を遅らせる大阪地裁の不当判決■■■
中国残留孤児とは、旧満州への入植・対ソ連 の国防政策という日本政府の国策に基づいて旧満州に送出された移民の子で、第2次世界大 戦での日本国の敗戦による混乱で、旧満州に取り残され、幼くして親から引き離され、中国 の養父母のもとで何とか生きながらえ、一日も早く祖国への帰国を望んでいた人たちです。
孤児の帰国を早期に実現させる国の責任が あるにもかかわらず、日本政府はこれを放置し、1972年の中国との国交回復後も9年間は 十分な帰国措置を採ることなく、残留孤児の帰国を遅らせ、そのため帰国しても言葉が十 分に話せず、また、孤児に対する十分な自立支援策を講じてこなかったために、孤児たちは 自立できる仕事を見つけられず、現在も大半が生活保護を受けて生活しているという劣悪 の環境におかれています。このため2000名を超える残留孤児が国の早期帰国義務違反、自 立支援義務違反の責任を追及し、「日本人として人間らしく生きる権利」の回復を求めて全 国15地裁に1人3300万円の損害賠償訴訟を提起し、裁判闘争を闘ってきました。
全国に先駆けて、7月6日午前10時15分に 大阪地裁で最初の訴訟の判決言い渡しがありました。原告団、弁護団、支援団体の誰もが勝
利判決を信じて疑わなかったのが、予期に反して大阪地裁は原告の請求を棄却する判決を
言い渡しました。神戸の原告団もアステップ神戸に集まり、判決の第1報を待っていました
が、敗訴の報告を聞いて一同怒りをあらわにしました。しかし、原告団の人たちはこれにめげずに闘い抜くことを力強く宣言しました。7
日から全国の原告、弁護団が東京に集まり、厚生労働省に抗議の座り込みを行い、衆議院
議員会館で議員への要請行動を行いました。この要請行動には超党派で議員31名、議員秘
書31名の合計62名が参加しました。この中には田中真紀子衆議院議員、自民党の野田元
幹事長、中谷元防衛庁長官を始め、公明党、民主党、社民党、共産党の議員が直接決意表明
し、超党派で自立支援法案を成立させることを誓ってくれました。また、マスコミも各社
こぞって判決を批判し、残留孤児の救済措置を早く講じるべきであることを一斉に報道し
ました。判決は孤児たちを早期に帰国させる義務が政府にあることを認めたものの、国の
帰国政策には違法性がなかったこと、自立支援義務は戦争損害として、国民が甘受すべき
問題であり、損害賠償の請求権はないとしました。今年は終戦から60年を迎えようとして
おり、孤児の帰国は終戦後40年近くも放置されているのに、政府の帰国政策に何も問題が
ないなどということは到底納得できるものではなく、長期間放置した結果自立支援が妨げ
られているのに、なぜこれが戦争被害というのか全く理解に苦しむところです。神戸地裁
の裁判は9月まで原告本人尋問が行われ、年内に結審して来年3月には判決が出される予
定です。神戸では必ず勝利判決を獲得したいと思いますので、皆様の支援をよろしくお願
いします。
(中国残留孤児神戸訴訟弁護団長・KFC理事 吉井正明)
■■■通常総会のご報告■■■
去る6月11日(土)15:00から、通常総会が行われました。
正会員1団体、16名(委任状による出席者含む)と賛助会員18名、その他傍聴1名の出席がありました。
2004年度事業報告、決算報告、役員改選に関する件、2005年度事業計画、収支予算について説明があり、全て承認されました。
また、おおむね5年以上ボランティアとして継続して関わってくださっている方に日ごろの感謝を込めて、感謝状と記念品を贈らせていただきました。
普段はボランティアの方々にKFCの全体の活動について知っていただくことはなかなか難しいですが、今後はもっと賛助会員の方にも総会にご出席頂いて、KFC全体の活動も知っていただき、様々なご意見をいただければと思っています。
■■■コミュニケーションサポーター制度(仮称)実現に向けて■■■
5月26日(木)18:00〜神戸市介護保険課から3名お越し頂き、神戸市国際課、NGOベトナムinKOBE4名、関西ブラジル人コミュニティ2名、KFC4名が参加して、介護保険に関する説明会を開きました。
介護保険課から、まず介護保険のパンフレット(日本語版、多言語版)にそって説明がありました。その説明は外国人にとってはわかりにくく、またパンフレットも単に日本語版を訳しただけで外国人にはわかりにくいものでした。
日本語版を作成するときから外国人に相談して作成するべきだといった意見やパンフレットだけでは結局はわからないことがでてくるのでコミュニケーションサポーターが必要だ、やさしい日本語のパンフレットが必要だ、など様々な意見が出され、今後も引き続き、制度実現に向けた意見交換の場を設けていくことになりました。
■■■日本語プロジェクト■■■
◆コミュニティ探訪 フェスタ・ジュニーナ〜ブラジル
KFCの日本語プロジェクトでは、さまざ まな国の人たちが学んでいます。そんな彼らの文化やバックグラウンドって、どんなもの
なのでしょうか?
今回は、関西ブラジルコミュニティ主催の
「フェスタ・ジュニーナ」を見学。代表の松原マリナさんに、日本に住むブラジル人の横顔
についてもお聞きしました。
歌って踊って…にぎやかな“6月祭”
ブラジルで、みんなが楽しみにしているお
祭りと言えば、「フェスタ・ジュニーナ(6月祭)」。神戸でも6月
26日(日)に、旧神戸移住センターで開催されました。
当日は快晴で、汗ばむような陽気。それで
も、スタッフを含めて400人もの人が、鯉川筋の坂を上って移住センターに集まり、ブラ
ジルの食べ物や音楽を満喫しました。
「ブラジルでは6月は秋の終わり。フェス
タ・ジュニーナは収穫祭なんです」と松原さん。お約束はクァドゥリーリャ・ダンス。ペ
アで踊る、フェスタ・ジュニーナに欠かせないダンスで、来場した人達も踊りの輪に加わ
りました。ちなみに最近のブラジルでは、フェスタ・ジュニーナは、“学校や田舎で行わ
れるお祭り”とか。日本で言えば、盆踊りのイメージかもしれません。
ほかにもバンドの生演奏あり、サンバあり
と会場内はすごい熱気。冷たいビールが売り切れてしまったほどでした。食べ物はシュラ
スコ、パステウなど、ブラジルの味が並びます。「本当はシュラスコやパステウはフェスタ・ジュニーナの食べ物ではないのですが…。
でも、ブラジルの文化を知ってもらうのも、このフェスタの目的なので」と松原さん。そ
のかいあって、当日は日本人も数多く来場。陽気なブラジルのお祭りを楽しみました。
ブラジルを知らない、ブラジル人の子ども達
ブラジルと言えば、サンバやサッカーのよ
うに明るくパワフルなイメージ? 関西に住むブラジル人達は、実際には、どんな人達な
のでしょうか。「日本にいるのは、ほとんどが日系ブラジル人。それ以外の人にはビザがな
かなか下りないんですよ」と松原さん。働くために来日した人が多いのですが、最近は日
本で家庭を持ち、定住を考える人も増えているようです。
しかし、日本語がやはりネックのよう。「日
本語ができないと仕事が探しにくい。それに、ビザなど手続き関係で困ることも多いんです」
と松原さん。そんなブラジル人達が頼るのが、口コミです。「ブラジル人の間では口コミの
ネットワークが発達していて、情報はあっという間に伝わります。でもその分、間違ったこともすぐに伝わってしまう。だから私たちも、正確な情報を流すことが大切だと感じています」と話します。
子どもがいる家庭には違った悩みも。「親がよりよい仕事を求めてたびたび引越し、子どもが転校せざるを得ず、学校になじみにくいケースも。また、親が日本社会のしくみや法律を教えられないという問題も。逆に日本で育った子ども達は、ブラジルのことを知らないんですね。そういう問題が、今後、増えてくるのではと思います」と松原さん。
国籍はブラジルでも、日本社会のなかで生きていく家族たち。安定した生活や家族関係のためにも、暮らしへのサポート、そして日本語・母国語教育の重要さを感じました。
(宗圓由佳)
◆外国人の子どもの学習支援 ボランティア研修会
4回にわたって、外国人の子どもの学習支援ボランティア研修会を実施しました。研修会には20名を超える方に参加いただき、1回目は「外国人の子どもの状況」をリリアン
テルミ ハタノさんから、2回目は、「子どもの心理」を大澤智子さんから、4回目は「学習支援のポイント」を村山勇さんからお話いただきました。3回目は、姫路の城東補習教室で、実際にボランティアをさせていただきました。城東補習教室は雨にも関わらず、約25名のベトナム人の小学生、中学生が参加していました。おとなしく勉強する子、走り回る子、渡日間もなく日本語がわからない子など様々な子どもが参加していましたが、どの子どもも生き生きとしていました。
KFCでも子どもたちの居場所になる場づくりができればと切に願っています。
◆外国人の親子学習教室
学校の勉強が難しかったり、家で勉強が出来ないという子どもたち(主に小学生)を対象に7月21日から補習教室を始めます。
日 時:毎週木曜日10時〜12時(9月以降は、17時〜19時)
場 所:当センター事務所
参加費:無料
子どもたちが勉強している間に、保護者の方には日本語を勉強していただけます(保護者の方は協力金が必要です。)。
お知り合いに勉強をできる場を探している外国人の子どもがいましたら、ぜひお知らせ下さい。
◆グループレッスン 講師・アシスタント募集
9月から始まるグループレッスンの講師とアシスタントの方を募集しております。
詳細は日本語担当の奧までお問い合わせ下さい。
◆研修会で教わったVT法を
わたしは 解(カイ) 敬(チー) です。 中国 から来ました。 2001年4月 に来ました。 日本へ 来たのははじめてです。 いま長田区 にすんでいます。 しごとは くつを作る ことです。 製靴会社で はたらいています。 このしごとがすきです。 2020年まで日本にいるよていです。 日本語をべんきょうしたことがあります。 いま べんきょうしています。 わたしのくにでは 中国 ごを はなします。 くにで わたしは よくはなしました。 しゅみは ねることです。 いま 仕事の とき、日本語がひつようです。 このレッスンでは 1年 で 尊敬語 ができるようになりたいのでよろしくおねがいします。
2004年8月29日、初回インタビューで上のように答えてくれた解さんは、中国は東北吉林省生まれ、バイタリティー溢れる34歳の好青年。私が彼の日本語学習の支援を始めてもうすぐ1年が経ちます。「テレビニュースはテロップとかキャプションなど文字が画面に出されるので大体理解できるのですがテレビドラマは半分位しか分かりません。」という解さんの大の苦手は外来語とその発音です。春節祭(正月)の里帰り前に行った特別レクチャーは空港での手続きに関するカタカナ言葉の解説でした。チェック・イン(搭乗手続き?)から飛行機に乗り込むボーディング・ゲート(搭乗口)まで、比較的新しいカタカナ言葉がたくさん使われているものの、日中辞典に出てこない言葉がほとんどですので学習が難しいことがよく分かりました。発音についても英語のイントネーションはすでに無くなって、いわゆる和製英語化しているためかどうかは分かりませんが発音が妙に日本語らしくない場合があるのです。例えば最近テキストに出てきた「ターゲット」という単語の発音がどうしてもうまくいきませんでした。
そのとき使ってみたのが、日本語プロジェクト研修会で斉藤先生から教わったVT法でいうやまの型でした。やま
(6つあります @げんきです Aりゅうがくせいです Bこんにちは C‘げんきですか D‘りゅうがくせいですか E‘おなまえは)のまとまりを意識して、そしてそのパターンを認識してもらうために右手でやまのかたちを描きながら発音してもらったのです。(Aのやまを使いました)これが嘘みたいにうまく出来たのです。本当にびっくりしました。またDのやまを使って「どのように考えていますか」という問いかけ文も見事に成功しました。VT法の詳細は分かりませんが、「からだ全体を使って表現することで無意識に束縛されているであろう母国語からの影響から離れることが出来るのかなあ」と分かったような分からないような、それでもとても嬉しい気分にさせて頂きました。斎藤先生ありがとうございました。
何年も勉強を続けながら好きにはなれなかった国語を、「日本語」という新しい視点から支援者として学習者と一緒に楽しんでおります。
(佐藤 孝行)
■■■KFCハナの会■■■
◆デイサービスセンターハナの会の識字活動
今年2月に、金宣吉理事長からディサービスでの識字教室の依頼を受けた。昨夏から、長田の「ひまわり」、御影の「大空」の2ヶ所の識字教室で、サポーターをしていたので「何とかなる」という安易な気持ちでお引き受けした。当初、文字を書くことに興味のある数名の方々が対象と考えていた。しかし、部屋にいる方々ほぼ全員が興味を示されていると聞き、困惑した。
いざ始めてみると、数十年ぶりに鉛筆を持つ人、高等学校を卒業した人など、その多様性に驚いた。と同時に、前記した2ヶ所の識字教室とは違った手法の必要性を感じた。
学習者のほとんどは在日コリアン1世。政府や自治体の形骸的教育から取り残された人たちである。ボランティアとはいえ、役割の重さを感じられずにはいられなかった。金理事長から課せられた「一人一人の気持ちをくみ上げ、前向きに取り組める識字」の実現に頭の中は真っ白になった。
これまで全国各地で実践された識字のテーマは、私の知るところでは「奪われた過去を取り戻す」「武器となる文字とコトバ」「力にする」など。これらの実践は確かに立派であるが、ハナの会の識字はそのコピーではいけない。では、いきつくところは何なのか。自問自答しても答えはでない。
いろいろ考えたあげく、学習者がすでに「習得?」しているものをベースにすることにした。私自身、在日のハルモ二の姿で印象に残っているのは、歌と踊りである。車座になって舞い踊りそして歌う「アリラン」「トラジ」「ノドル川辺」。まず、それらを歌い、歌詞の意味を文字にする。他の実践者からみると安直な発想と思われるかもしれない。ただ救われるのは識字の最初と最後に歌うときのハルモニたちの笑顔と「せんせいありがとう」のことばである。
まだ、スタートして4ヶ月足らず。だが、他のスタッフからも独創的な発想がではじめている。今後も、常に前向きな「ハナの会の識字」にしていきたい。 (西田恵介)
◆ハンメ(おばあちゃん)たちとの一日
デイサービスセンターハナの会で、職員として働くようになって早2ヶ月が過ぎました。本当にあっという間です。
ハナの会での一日は、ハンメたち(在日コリアン1世のおばあさん)と交わす「おはようございま〜す!」のあいさつから始まります。そして、お茶とおしぼりを出しながら「今日の気分はどうですか?」など、たわいのない話をしながら、他のハンメたちが来るのを一緒に待ちます。
午前中は、例えば、カレンダーを作ったり、識字教室が行われたり、お昼ご飯を一緒に作ったりした後、朝鮮の民謡にあわせて10分ぐらい体操をします。(これが、見た目よりもきついんです)そして、おなかがペコペコになったところで美味しいお昼ご飯を頂きます。ハンメたちが食べるご飯の量と私たち職員が食べる量は一緒です。みんな良く食べます。
午後からは、チャンゴ(朝鮮の太鼓)を叩きながら民謡を歌い、興にのると踊り始めます。カラオケをする人も、昼寝をする人も、お風呂に入る人もいます。まるで家にいるようにゆったり過ごします。
そして、帰るときは、笑いながら少し寂しげに「さようなら!またお会いします!」と見送ってその日を終えます。
こんな他愛のない一日を楽しく過ごしますが、かけがえのない毎日です。私は、在日コリアン3世で1世の祖父母の世代との思い出は、数えるくらいしかありません。学生時代は、自分のルーツに悩むこともありましたが、まさに自分の根っこの部分のハンメたちの生き様に実際にふれることで、自分を受け入れ、日本社会で生きることを学ぶのだと思います。
私たち在日コリアンは、あらゆる矛盾(日本社会で外国人として生きる、男尊女卑の考えの中で生きる、貧富の差を実感しながら生きる、定住外国人として最近日本に定住しようとしている外国人との付き合いのなかで生きる。など)の中で流れに身を任せて生きていることが多いといえます。その象徴的な存在がハンメたちであり、日本に渡ってきて60年以上ものあいだの言葉には表せないような悲惨な話をしながら、それでいて生きる力を奮い立たせるようなユーモアと力強さを持っています。レクレーションとしてやった貼り絵を終わったあと、「内職代は、くれないのか?」と言い、歌が始まれば、「踊れ、踊れ」と手を取り一緒に立ち上がります。
私たちの世代が、ハンメたちを伝える大切な世代になっています。ここには、あらゆる世代の在日コリアンとそうではない人々がいます。また、多くのボランティアの人々が関わっています。どの人も欠かすことのできない大切な空間です。こんなところは、他にはそう見つかりません。
震災後10年が経ち、ハンメたちが、第二のふるさとと言える(だろう)長田に集まり、健康で笑い声で包まれたハナの会であるといいなあ、と心から思います。(鄭秀珠)
■■■ 今後の予定■■■
■日本語ティーパーティ(七夕祭りを楽しみます)
7月31日(日)13:30〜15:30 於 デイサービスセンターハナの会
※ゆかた、短冊、お菓子などを楽しみます
■日本語プロジェクト支援者のための研修会、連絡会
9月10日(土)13:30〜16:00 研修会、連絡会
「在日外国人の高校生に関わって」
講師:神谷重章(元高砂、松陽高校教諭)
於 デイサービスセンターハナの会
■KFCハナの会昼食会
8月20日(土)、9月17日(土) 11:00〜14:00(10時から開けています)
於 デイサービスセンターハナの会
■外国人の親子学習教室
7月21日(木)10時〜12時(毎週木曜日) (9月以降は、17時〜12時)
■お盆休み 8月13日(土)〜15日(月)